歌詞解析における立場①
「文学理論を援用してジャニーズ楽曲の歌詞の物語解析をする」と一口に言っても様々な方法があるので、まずはこのブログで用いる立場を明確に定義しておこうと思います。
基本的に、このブログでは「テクスト論」という立場で論じていこうと思います。テクストとは何か、というとこれはまた複雑な話なのですが、簡単に言えば「作品」に対立する概念です。
「テクスト」とは作者中心主義(作者の意図は?作者の実人生とどう関わりがあるの?といった「作品」の読み方、研究方法など)への批判から生まれた概念で、「作者」を「作品」から切り離して考える際、その文章を「テクスト」と呼びます。なぜ「作者」を「作品」から切り離すのか?それは「作者の意図」は究極のところ誰にも、たとえ「作者」本人にも分かり得ないからです。また、「作者の意図」を重要視してしまうと、「作品」の正解は「作者」のものとなり、「読者」は「作者」の下位の存在となってしまいます。それはおかしいんじゃないの?と考え出されたのが「テクスト」の概念です。「テクスト」では「作者」の存在は切り捨てられ(ロラン・バルト曰く「作者の死」ですね)、「読者」が主体的な存在として誕生します。
「テクスト」は先行、同時代の諸テクストの引用の織物であり、読者が生産行為を行う主体として記号の場に入り、実践的に獲得していくことが要求されます。また、方法論的な場であり、言語活動の中においてのみ存在します。
だいぶ簡略に説明してしまったので、詳しくロラン・バルトの著作あたりを読んでいただきたいのですが、とにかくこのような立場に立って歌詞解析をしていきたいと思います。
このような立場をとることで、具体的に何が見えてくるか?といいますと、
①「歌詞解釈の可能性の拡大」
作詞者或いは製作者側の意図の制約から逸脱した解釈が可能になります。
②「歌詞の深読み」という単語からの解放
歌詞の意味は読者が主体的に獲得していくものとなり、「深読み」という卑下的な単語か自由になります。その根拠が論理的である限り、「歌詞の深読み」「歌詞の誤読」ではなく、「読みの可能性」の拡大なのです。
③歌詞解釈の多様性を保障
歌詞の正解は一つではなく多様なものとなります。何通りもの解釈にその権利が与えられます。
つまり、私たちは「歌詞」の単なる「消費者」から「生産者」になるのです。